上杉鷹山から学ぶ「経営学と再生法」を自己啓発に活かす

日記・本

上杉鷹山(ようざん)とは、米沢(山形県米沢市)藩主であり、

上杉謙信・上杉景勝・直江兼続など、歴史で有名な上杉家の中でも、
経営・再生に長けた藩主と言われている。

上杉鷹山は、もともと上杉家出身ではなく、
九州の日向(宮崎県)高鍋の秋月という、三万石の小大名の家に生まれた。

縁あって養子に入り、十七歳の時に藩主の座についた。

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上杉鷹山は、なぜ経営・再生に優れた藩主なのか?

鷹山が藩主になった頃、日本は経済の高度成長期の頂点にあったが、
やがて失速し、対照的な低成長期に陥った。

上杉家は初代謙信の頃、越後地方で二百万石を超える収入を得ていたが、
二代目景勝の時には、豊臣秀吉によって百二十万石に移された。

更には、関ヶ原の合戦後、徳川家康によって、米沢三十万石に減封。

それだけでは済まず、四代目から五代目になる時に、
相続の手続きに手抜かりがあったため、危うく潰されかけてしまった。

危機を乗り越え、かろうじて存続させたのだが、結局十五万石に減らされてしまった。

 

鷹山の時代、日本は貨幣の流通がかなり進んでいたにも拘らず、
幕府や藩は農作物だけを税源としていたため、経済状況に対応できず、
財政再建のために行政改革行っていたが、必ずしも成功しなかった。

しかも当時の米沢藩は、上杉家=名門 という誇りを持ってか、
謙信から景勝、その後の藩主に変わるにつれ収入が減っているにも拘らず、
人員整理を行なっていなかった。

そのため、鷹山が相続した時には藩士の給料だけで、収入の90%以上を占めていた。
先代は、大名家を幕府に返上しようとさえ考えていた程だった。

そんなどうにもならない藩を、十七歳の鷹山が相続し、財政を立て直したのである。

 

アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が生きていた頃、
日本人記者団と会見し、

「あなたが最も尊敬する日本人は誰ですか?」

と質問された際に、ケネディは即座に「上杉鷹山」と答えたという。

ケネディ大統領が尊敬し、米沢藩を蘇らせた男として知られ、
【上杉鷹山】の経営学が注目されている。

このページでは、上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)を参考にし、引用文も、この本から引用しています。

上杉鷹山から学び、自己の啓発に活かす

上杉鷹山が改革を行うにあたり、まず行ったことが、
藩内部の意識改革、藩の人材登用、目的の共有と藩内の透明化など様々ですが、

その際に重要視したのが「職場の問題児」を積極的に登用すること。
もう一つは「意識改革」である。

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付き合う人を変える・目標を明確化する

人材登用は誰でもやることだが、鷹山は特に「職場の問題児」を登用した。「イエスマンより、トラブルメーカーのほうがイエスマンよりもよほどパワーを持っている」と判断したためであった。

要約すれば、鷹山は、「経営改革の目的は、領民(おとくいさん)を富ませるためである」と明言し、その方法展開は「愛と信頼」でおこなおうとしたのだ。

上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)
童門 冬二 PHP研究所 1990-08・18ページから引用

経営学としても大切なことだが、自己の啓発においても大切なことではないだろうか?

自分の周りが「イエスマン」ばかりだと、注意されることもなくなる。
そうなると、失敗に気づかなかったり、自分の向上に繋がらない可能性もある。

クレームは会社を向上させるために必要であり、さらに良い商品を作ることにつながる。
イエスマンばかりを集めているようでは「自己の啓発」には繋がらない。

 

また、目標を明確化し社員と共有することも重要である。
殆どの企業は目標や社訓といった、社員全員が共有している目標があるはずだ。

だが、個人的な目標を明確化している人はどれだけいるだろうか?

年始に「今年の目標」を掲げたにも拘らず、
数ヵ月後にはすっかり忘れ、年末には目標を立てたことすら忘れてしまっていないだろうか?

目標を明確化し、常に自分が目標を意識する環境を作らなければ、
目標を明確化したことにはならない。

社長室には「目標・社訓」といった言葉が飾っているのではないだろうか?
それは「目標を明確化し、常に意識する」ためである。

自分自身の目標も、明確化し、常に意識する環境を作り上げることが重要である。

選択肢は無限にある

鷹山は、人間が、何でも、すぐ、「これかあれか」あるいは、「俺が正しいか、お前が正しいか」というような短絡思考で物事を決めることを好まなかった。彼の頭脳はもっと柔軟であった。世の中のことはすべて二者択一ではなく三者択一であり四者択一であり、あるいは五者択一の場合さえあると思っていた。選択肢は無限にあるのである。その中から一番いいものを選ぶ、あるいは次善のものを選ぶ、それが人間ではないかと思っていた。そうしなければ、人々は常に争い続け、何ら得られるところがなく力を冷やしたまま終わってしまうからである。

上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)
童門 冬二 PHP研究所 1990-08・74ページから引用

自分の限界を、自分自身で設定していたり、
先入観によって物事を判断していないだろうか?

鷹山は、あらゆる可能性を考え、一番いいものを選ぶことが大切だといっている。
選択肢は「無限」と考えることにより、色んな解決策が見えてくることもある。

 

例えば、今の給料に満足していなくて、
自分の給料を増やすためにはどうすればいいかと考えたときに、
「職を変える・副業をする」といった考えが浮かぶだろう。

その時「ネットで副業をする」という選択肢が浮かんだとき、
「ネットで稼ぐのは難しい」とか「投資は危険だ」といった先入観で、
稼ぐ方法の選択肢から外していないだろうか?

これは、先入観によって自分の可能性を縮める行為である。

また「自分には出来ない」とか、
やったことも無いのに「自分には向いていない」なんて考えてないだろうか?
これは、自分の限界を自分で決めていることになる。

「自分にはここまでしかできない」と考えたとき、
それ以上を目指すことを辞め、自分自身の成長を止めることになる。

 

自分で限界を設けず、あらゆる可能性を考えると、
今以上の結果を出すためにはどうすればいいのか?と考え、
色んなチャンスが巡ってくるはずだ。

「選択肢は無限にある」=「目標を達成する方法は無限にある」ということである。

 

藩の収入を増やすために、鷹山はあらゆる可能性を考慮し一つの改革を行った。
それは「原料に付加価値を加えて製品とする」ことである。

鷹山の言うところは、自然条件に見合った植物を植え、それを原料にして製品を作り、収益の道をひらくべきで、米作だけに依存するのは間違いということであった。それと同時に、米沢藩がそれまでやってきた原料輸出を止めて、原料に付加価値を加えて、製品化し、それによる収益を上げようということであった。反対派たちは目を剥いた。藩が先に立って、木を植えたりものを作り出したりするという行為は、士農工商の農工商のやる仕事であって、士のやることではないと思っていたからである。だからこれには、藩士の大きな意識変革がいる。

上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件 (PHP文庫)
童門 冬二 PHP研究所 1990-08・121ページから引用

あらゆる可能性を考え、常識を覆すことにより、
最終的に上杉鷹山は、米沢藩を再生させることに成功する。

あらゆるトラブルが起こる中、再生させるための努力を惜しまず、
達成させるという信念を貫き、みんなが協力してくれたことにより成し遂げられるのである。

可能性に貧欲になり、小さな努力を積み重ねた結果である。

 

この他にも、この本からは上杉鷹山の経営学・再生法といった沢山のことが学べます。
しかも文庫であるため、すごく安いのも魅力です。

興味のある方は、読んでみてください。

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